昭和33年3月20日 幼稚園終了式前から4列目の左端 校庭には大きな松の木が一本ありフクロウが住み着いていた。
昭和33年3月17日 もうすぐ6才フーセンガムを大きく膨らませようとして弾けた瞬間、お気に入りのズボンに大好きだった家柄の前掛け、 二つのポケットにはチュインガムと日光写真を忍ばせている?
昭和33年2月 母に抱かれ左私5才、右弟2才 2階物干し台にて出来てまだ新しかった物干し台だが10年足らずで朽ちて解体している。この時代今の様に防腐塗料など無かったようで未塗装だった。
中庭の砂場にて 左端の女の子にいつも手を引かれ遊んでいた、いつもよく遊んでくれた。名前は確か、、どうじま えつこ? ちゃん、、
昭和30年8月 兄7才と店先にて3才この時のことはよく覚えている、カメラを前にして兄は足を上げろ下げろと私に色々なポーズを求め、その末にこの一枚がカメラに収められた。
昭和30年8月 中央が私3才、右はお隣りのボヤちゃん3才、左がそのお姉さん、のり子ちゃん5才。裏庭にて、 この日のことはおぼろげに覚えている。二人とも同じように膝を怪我しているのが可笑しくてみんなで笑った。 腰掛けているこの石の真ん中は窪んでいて座り心地が悪かった。ここに座ったのは生涯このとき一度だけだ。
1952年3月31日誕生、お爺さんの意向で進学を一年遅らせたいと年度が変わる4月1日生まれとして届出した。しかし学年が変わるのは2日からであった。写真は満一才。 もっとも古い写真。