アルバム 1967年 昭和42年~ あの頃の写真 思春期

昭和42年4月、15才の春、大阪の某企業に十数名入社、前列右から4人目 みな地方出身者で金の卵と言われた私達、初任給は9500円だった。 その2年後に私は退社した。T君一人を会社に残し全員が退社している。

西宮市立鳴尾中学校 昭和41年6月3年6組に5月より編入、 2学期より登校した。前より3列目、左より5人目、馴染めない学園生活にもかかわらず担任の武村先生はじめ心やさしいクラスメイトに囲まれて卒業の日を迎えた。

三光塾での暮らしは一年にも満たない期間であったが環境の急変に私自身かなり戸惑い又一人悩み込んでいた時期だ。 26年後の平成5年6月19日 おじさんおばさんありがとう会に招かれ多くの人たちとの再会を果たした。

昭和41年5月31日 14才 この頃の自己を顧みる貴重な一枚,この時代まだ不登校という言葉はく社会から認識すらされていなかった。不登校時代を写した青春画像、言葉では語れぬ苦悩が見え隠れする。

西宮市 三光塾 おじさん おばさん ありがとう。私もこんなに大きく成長しました。この日は懐かし人たちと再会できとても嬉しかった。私41才は最後列の真ん中にいます。平成5年6月19日  児童養護施設 三光塾にて

 

三光塾にて おじさん おばさん ありがとう。1993年6月19日 かつては中学生だった私も今ではこんなに大きく成長しました。〇印が私です。